治療よりも大事なこと

こんにちは。 トリニティ・コークリエイターの真理(Mari)です。

今日は電話で相談を受けながら、感じたこと気付いたことをお伝えしたいと思います。

最近、何年かぶりに連絡を取っている方がいて、以前はよくお茶したり飲みながら語り合っていた私にとってお姉さま的な存在の方なんですけど…

ご本人も体調を崩されたりしていて、何だかんだと神やトリニティの話も少しずつ伝えながら、今度はいきなり妹さんに末期の乳がんが見つかり、今日から抗がん剤なんだけど妹さんに対して何ができるんだろうって悩まれてたんですね。

今までの私だったら、まぁいろんな代替療法を学んできたので、完治は難しくても少しでも体調が良くなるアドバイスはいくらでもできたし、その方とは昔からそんな話をよくしていたのでその方法を求められてるのも感じたし、それはそうだったんですけど…

その妹さん自身を目の前にしているわけでもなく、何を伝えようかと、話を聞きながら妹さんのことを観ようとしていたんです。

この「観ようとする」っていうのは、無条件の神の観点から相手を観ようとするってことで、それを伝えるのはなかなか難しいんですけど…。今の私の感覚だと、神とともに観ようとする時って、自分の思考であれこれ考えて結論を出そうとしないというか、ふっと思うことを捉えようとするというか、そんな感じなんですね。

そうすると、そこから急にどっと伝わってきたのは、いきなり死が間近になったとてつもない恐怖と絶望感、後悔、そして不安に押しつぶされそうなのに誰にも弱音を吐けない苦しさ…。これから何をどうしていいかもわからない混乱の暗闇のなか、いろんな感情が湧いてくるし、それを処理することもできないし、ほんとに一人では耐えられない…。

そして、そこから何か別の治療法を教えて欲しいとかじゃなくて、今の辛くて苦しくてどうにもならない混乱と絶望感のなかで、ただ誰かに寄り添って欲しいというか、ただ共にいて欲しいというか、それを求めている感じが伝わってきたんですよね。

私は医療者だし患者でもあって、どうやったら病気や症状が良くなるかばかり考えて来たし、良くするために頑張るのがずっと正解だと信じて生きてて、それがトリニティに出会ってからは、治すこととか良くすることが全てではないというか、それ以上に大事なことがあるということを学んだし、自分でもそれを体感としても実感してきているんですけど…

それが自分以外の誰か、病気や症状で苦しんでいる人に対して、どこまで言えるのかは疑問がまだまだ残っていたんです。だって実際に目の前で苦しみながら、その症状を取り除いて欲しいと相談に来る方がほとんどだからですね。

でも、その時は、私が感じたものをそのまま、今の妹さんには何か治すのに役立つ手段を伝えるよりも、ただそばに居てその想いに寄り添うことが必要な気がすると伝えました。そうすると、何かが伝わった感じで、そのまま受け取ってもらえました。

暗闇の中からただ有限の光を目指して、そのためにエネルギーを使うのではなく、その暗闇のなかにたたずむこと…これは無条件の神と共にじゃないとなかなか難しいけど、求めているのはここなんだなと思いまいた。

この妹さんを観ようとして、病気や症状を良くすることよりも魂が求めていること、治療法を伝えるよりも大事なこと、それが本当にあるんだなと感じました。その暗闇から無条件の神(愛)に出会えるチャンスを…。

そして、その後、その妹さんの死に対する絶望感に寄り添うのは、無条件の神とともにじゃないと難しいと思うと伝えながら、電話越しに本人自身が抱えているものも伝わってきて、彼女自身も無条件の神に出会えるよう、真剣に関わっていきたいなと思いました。

ではでは、また。

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