闇はどこから来るのか

こんばんは。 トリニティ・コークリエーターの真理(Mari)です。

今回のテーマは、自分を苦しめる闇はどこから来るのか?

先日、限界を超える仕事を上司から与えられ、そのなかで苦しんでいる女性と面談しました。

周囲に「死ね」と呟きながら働いていると事前情報はあったのですが、オンライン越しに観た瞬間に3センターがバラバラなのが分かり、そのバラバラ以上に生気が吸い取られてた感じで、その心も頭も体も限界なのがすぐに伝わってきました。

もう無理ですと訴えても上司から仕事を振られ、やらないとお客さんや会社に迷惑がかかるからと睡眠2~3時間でやり続け、とうとう「死ね」と言いながらじゃないと自分が保てない状態…。自分か相手が死なない限り、この苦しい状況からは逃れられないと思ったそうです。

彼女の観点を観ようとしながら、私もかなりしんどくなり(本当にキツかった…)、すごい条件付けなのを感じました。残念ながら、今の私の無条件レベルでは手に負えなかったです。

結局は自分を苦しめているものは自分のその条件付けなんですけど、その闇を刺激してくるものの発端はどこなんだろうか?と、その日はふと考えていました。

闇を抱えて苦しんでいる人がいたとして、その闇の発端はどこまでも遡ります。上司は上司で闇を抱えている。組織や会社もそうだし、社会も国も世界も闇を抱えている。そして、この世を創った存在である無条件の神もそう。抱えている闇のレベルが違うだけなんです。

みんな自分がフタをしてきた闇が刺激されると、自分だけではどうしようもなくなって、誰かや何かに文句を言いたくなり、たいがいそれを刺激してくる上の存在(上司や組織や社会など)のせいにしていきます。

でも、本当は上の存在は文句を言う対象ではないし、上の存在からすると上は上で精一杯やっているし、別に下をいじめようとしているわけでもないんです。(なかには自分の何かを守るためにいじめてしまう人もいますが…)

無条件の神だってそう。別に人間をいじめようとしてこの世の闇を作ったわけじゃないし、むしろ逆で、本当に愛し合いたいからこそ闇を作っているし、その闇と向き合うようにシナリオを動かしていると伝えられ、初めは受け入れられなかったんですけど最近少しずつそう思えるようになってきてるんです。

だから、結局は、その人間観点からは想像もつかない神の大きな愛に、人間が気づくことができるかだし、それを信じれるかどうかなんだなと思うんですよね。

闇があることや闇を体験することは、本来の神の意図を考えてみると、決して嫌なことでも不幸なことでもないはずなんです。そこに本当に救われるための扉があるから。

あとは、そこに気づいてその扉を開ける勇気があるかどうかだし、神を信じてその勇気のある選択をできるかどうかだと思うんですよね。

何かを信じるということは、私たちが誰にも何にも縛られずにできる唯一のもの。

神ですら、何を信じるかの最終選択の自由意志を、人間に与えているし人間の選択に委ねているんです。

でも、その選択を縛るのは、今まで生きてきた自分自身なんですよね。その自分より神を選べるかどうか…そこに自分一人で向き合い続けるのは結構しんどすぎるんです。

だからこそ、同じ無条件の神を信じていこうとしてる神の家族がいるし、このマリアトリニティという団体って今まで関わってきたどんな組織とも違う感覚で繋がっているんですよね。

いろいろ考えながら、この神の家族が増えていくことで、本当に世のなかも違った未来に進んでいくようになるだろうな~と、心がホワッと温かくなっちゃいました。(*^-^*)

父と子と精霊の無条件の愛のマリアトリニティ

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