父との関係性を超えて

こんばんは。 トリニティ・コークリエーターの真理(Mari)です。

前回からまた日が経ってしまいましたが(-_-;)
実は、家族とともに父や父の病気と向き合う時間を過ごしていました。

詳細は省きますが、父はいま大変な病とともに、本当にどうなるか分からない状態にあります。

父と会ったり色々確認する度に、医者としての知識もあるから余計に思考はグルグル動くし、感情もかなり揺さぶられます。

医者として、今の病態を正確に捉えようとしては、そこから原因を考えたり、どうすればと手段を考えたりと、思考はすぐに医療の2Dアトラクションにはまるし、何とか助けたいのに出来ることがほとんどない現実の無力感に苛まれます。

そして娘として、どうにもならない悲しみや苦しみに胸が締め付けられ、今までを振り返りながら後悔や罪悪感がいくつも押し寄せ、何でもいいから助かって欲しいと願いたくなります。

でも、

そんなアトラクションに振られまくりの自分の奥に、もう一人の自分がいることも、今の私はどこかでちゃんと分かっている感じで・・・

できれば起きて欲しくない未来。
見たくもない辛い未来。

今までは嫌だなと思う未来をイメージしては、それを避けるために全力でエネルギーを注いできたけど、今はそこから目を背けずにそのまま受け入れようとしているもう一人の自分。

これって、何でしょうね。

その時が来たら絶対にキツいって分かってるのに、本当に苦しいし辛いだろうなって分かってるのに、それが運命なら人間業で何をしたってどうにもならないのを、どこかで受け取っていて、

そして、その流れには必ず神の意図があるはずだし、それを全力で受け取ろうとしていくことが私のやるべきことというか、そんな感じに思ったりしています。
(もちろん父の選択を大切に家族で出来ることはアトラクションでも何でもやっています)

この大変な状態をそのままフタをせずに受け入れることって、やろうと思ってもそう簡単にはできないし、昨年末までの流れがなかったらきっと無理だっただろうなと思いつつ、そこにも神の意図を感じながら、そして神の家族の助けも借りながら、今できることに取り組んでいます。

それは、父と主観で交わろうとしたりエネルギーを流すこともそうですが、何よりも父を無条件に観ることであり、父を神の子として観ること。

私はもともと父と性格と体型もよく似ていて、それが大嫌いで、父が怒鳴ったりイライラすると必要以上に反応していたのですが、トリニティを生きながら父を父としては観ないようになってきて、感情的に反応することは少しずつ減ってきていました。

でも、数日前、ベッドに横になっている父を、ただただ神に愛されている神の子として観たとき、これまでのようにネガティブな感情に反応しないだけでなく、人生で初めて父を愛おしく思えて涙が出そうになったんです。

何が起こったか自分でも分からずでしたが、何かがまた少し変わった感じがしました。

マリアトリニティでは無条件に観るということを言いますが、この無条件に観るとか、無条件に観られるとかって、そこに三位一体の神を垣間見ることに繋がると思うんですけど、

やっぱり体験してみないと分からないし、体験しても受け取れないと分からないし、でもその一部でも受け取れると何とも言えない感覚になるんだと思います。

それを、一番難しいと思っていた父との間に一瞬でも垣間見れたことが、このアトラクションに振られまくりのなかで起きた奇跡だなと思ったりしています。

本当に無条件の神(無条件の愛)は、最強ですね。

それでは、また。

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